華麗なるコミュニティー~六麓荘 MAY.2005

これ普通に個人宅です。
これ普通に個人宅です。

兵庫県芦屋市といえばそう!六麓荘私もその名前“ロクロクソウ”というのは噂はかねがね状態で聞いてはいましたが、行った事もなければその文献も読んだこともありませんでした。

大阪に18年も住んでいながら隣県にこんな素晴らしいコミュニティーがあったなんて・・・

ま、自慢じゃないですが、清水も、金閣・銀閣も行った事がないので私的には慣れっこ?のカルチャーショックなんですね^^

で、晴れてロクロクソウに行ってきました!とにかく驚きの連続で近隣の人に怪しまれながらカメラをバシバシ撮りマクリましたね~。阪急「芦屋川駅」を降りてそこから六甲山めがけて歩く事歩く事!しかも、高台のために上り坂!多分20分くらいは上りましたかね~。しかも、前日幼なじみ達と飲んでたので酒も残り気味でキツイことコノウエナシでしたね。でも、コノウエナシの世界を見せてもらってただただ感動でした!!

該当もナントモ素敵。
該当もナントモ素敵。

ここで、ロクロクソウって何!?と思っていらっしゃる方もいるとおもいますので少し、六麓荘についてのご説明をば・・・
出典はWikipediaから拝借いたしました
(本文中赤字)六麓荘町は六甲山地の南東麓斜面の海抜200m~250m地点に立地する田園調布とともに日本有数の高級住宅街のひとつ。
とありましたが、と~んでもない!おそらく日本一の高級住宅街だと思いますね。


そもそも何で六麓荘町が生まれたかといいますと

冬至採掘された岩を再利用・住宅と石垣がゴージャスにマッチしてます。
冬至採掘された岩を再利用・住宅と石垣がゴージャスにマッチしてます。

明治後半から大正時代にかけて発展した「日本一長者村」と呼ばれた旧住吉村(現神戸市東灘区)や夙川など隣接する地域の影響を受け1928年大阪の富商・内藤為三郎が中心となり国有林の払い下げを受け当初197区画、数万坪にのぼる宅地造成を行った事に始まり、由来は風光明媚な六甲山麓の林の中に作った別荘地ということで六麓荘と名づけられた私は特にと言う字にとても惹かれました。
ナントモ言えない明治を思い出させるハイカラな字に開発に携わった人たちの並外れたセンスと高貴さに脱帽です。

とにかく自然に家と庭がマッチしていてどの角度から見ても絵になります。
とにかく自然に家と庭がマッチしていてどの角度から見ても絵になります。

そして、そのハイカラな名前にタガワヌ開発コンセプトを起草したのです。
六麓荘町の開発は1928年大阪の森本喜太郎が発起人になって土地開発・住宅造成の会社である株式会社六麓荘を設立したことが始まりである。
もうこの時代にすでにアメリカで言うHOA(ハウスオーナーズアソシエイト)を設立してそして、このコミュニティーの法律とも言うべきCC&Rsまでも作っています。

社長には内藤為三郎、専務に森本喜太郎が就任した。開発コンセプトは、この地を東洋一の住宅地とすべく香港九龍半島やその対岸の香港島白人専用街区をモデルに開発が行われた。
どうですか!東洋一ですよ。今では死語に近い達成目標ですが、当時にすればとんでもないどでかい目標だったんですね。そして、目標必達すべく様々な開発がコンセプト通りに行われました。

しょーもないフェンスなどない!
しょーもないフェンスなどない!

 

南斜面起伏を最大限利用しスケールの大きい開発

 

細い山道を幅6M以上に拡幅

 

1区画最低300~400坪以上と規制

 

自然の地形を尊重した曲線道路

 

造成時に切り出された石材や石垣や石橋は庭石に再利用

 

山林の赤松も限りなく残し、庭木として再利用

 

敷地内に流れる湧き水を小川として取り込む

 

溜池道路を流れる川には橋をかけた

 

上水道は経営地最高部に貯水池を設けた

 

下水道はヒューム管埋設

 

都市ガス導入

 

電線地中埋設(日本初)

 

六甲山系水を飲んでもらうために浄水場設立

ショーもないフェンスなどない2
ショーもないフェンスなどない2

コレを読んでいて、私は率直なところ「な~んだ日本人も環境を考えた分譲をするんだぁ」と驚きました。国家の品格
藤原正彦さんじゃないですけど、日本人の美的感覚は昔はすごかったんだなぁと・・・
日本人である事を誇りに思いつつ今の開発分譲の醜さに情けなさを痛感する次第でございました・・・
そして当初の株式会社六麓荘は順調に粛々と開発コンセプト通りに街づくりをすすめて行きます。
もちろん、土地にたいするプレミアは年々高まっていきました。


これ、6Mどころじゃないですよね~何Mあるんだろ。
これ、6Mどころじゃないですよね~何Mあるんだろ。

1939年に芦屋国際ホテルという7階建てのホテルを開業をし、宿泊客のほとんどは西洋人で大阪・神戸の
一流財界人も利用していた。一泊300円。当時の平均的な宿泊料は、15~30円でホワイトカラー勤労者の
月給が50円程度であったので超一流ホテルということになる。太平洋戦争を経て、ホテル権利が
松下電器産業に移りその後、松下電工研究施設、そして現在は芦屋大学になっている。
もうひとつの特徴として六麓荘バスがある。六麓荘も芦屋市街からずいぶん離れておりこのあたりのバスは
阪神や阪急が完全支配していたが、六麓荘独自のバスを株式会社六麓荘が経営する六麓荘地域交通
走らせた。しかし、結果的には1939年に阪神バスへ譲渡される。


これが六麓荘のCC&Rs。
これが六麓荘のCC&Rs。

凄いですね!とうとうバスまで走らせちゃって。それくらい、他地域とは差別化された特別なコミュニティーなんだということを
内外にアピールしていたんですね。考えてみたら、駅からこ~んなに遠くてでもわざわざ当時の平均的給料の5倍払っても
泊まりに来るというのですから、その人気ぶりが伺えます。更に驚愕すべきはこのHOAなる六麓荘町内会
(この辺のネーミングはもう少し考えた方が良かったですね(^_^;))のその存在とCC&Rsである建築協定なんです。

眼下に広がる海!
眼下に広がる海!

開発直後から組織されているそれは、ある意味治外法権的な役割を果たしており、
町の住人は町内会独自の協定を設けて高級住宅街の維持に努めてきた。

 

●-協定では建物は一戸建ての個人宅に限り、新築と増改築は町内会の承認が必要
●-
町内での営業行為は一切禁止している為マンションや商店はまったくない
●-
道路は当初住人が区分所有をしていたが管理に限界があり結局芦屋市に無償賃与
●-
新規住人は町内会に入会金を支払うとともに月々の管理費を支払う
●-
新規住人は計画時に芦屋市から申請の内容が伝えられ町内会がこれを認証する
●-
1930年に町内会が無償で建物を提供して芦屋警察署の六麓荘駐在所を開設
●-
敷地面積は最低120坪以上、用途は2階建て以下の戸建個人住宅に限定
●-
建物高さは最高10Mで、軒の高さは7M以下

芦屋駅を降りて六麓荘を見上げた風景。
芦屋駅を降りて六麓荘を見上げた風景。

バスだけならいざしらず、とうとう駐在所まで作っちゃってますね^^これも当然と言えば当然。
やはり高級住宅がだけあって泥棒や不審者の為のセキュリティー強化も重要な要素ですよね。


バブル経済崩壊、阪神淡路大震災を経験後世代の交代や高額な相続税の為土地を手放すケースが増加して、紳士協定に過ぎない建築協定では風致を維持することが出来なくなる事が懸念され、住民は強制力のある景観保護を市に求めるようになった。そして、住民の要望を受け市は建築協定をそのまま条例に格上げした景観保護条例を市議会に提出して2006年12月22日全会一致で可決され2007年2月1日から施行となった。

あの山まで歩きました♪
あの山まで歩きました♪

うぁー条例作っちゃったよ!1928年に生まれて約80年後に条例までに発展したこのコミュニティー維持に対する弛まなき努力の賜物なんですね。

私はこの記述を読むまではロクロクソウだったのですが、その内容を知れば知るほど日本でもアメリカ人もびっくり!なコミュニティー創造をやっていたんだなぁと・・そして、何度も言いますが、こんなに素晴らしい前例があるのに、なんでこーんなニッポンになってしまったのかなぁ・・・と。


六麓荘まで完璧でなく、また高級にせずとも、計画的な都市開発というものが何故出来なかったんだろうと。
ま、言っても始まらないのでこれから未来を考えましょうp(^-^)q
こんな素晴らしい前例を辿った歴史があるのですからそれらを上手く勉強して活用して成功すればもっともっとこういう動きが活発になってくると思います。今、私達ができる最大の努力をすべきですね!

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